ジャズ批評の09年3月号に「和ジャズを育て、和ジャズで町おこし」という、対談記事が掲載された。出席者は僕たち、開運橋のジョニーの照井と小春。北九州のジャズ喫茶「エル・エヴァンス」和田寛市氏。評論家で音楽療法も実践している医学博士の後藤誠一氏ほか2名のジャズ関係者。時所は08年11月。北九州市の「金鍋」という、ジャズの歴史とほぼ並ぶ、130年続いている、文化財の老舗料亭。しかも作家・火野葦平氏が、かつて書斎として使っていたという2階の部屋でした。
事の発端は06年5月号のジャズ批評誌。特集「和ジャズ70年~90年」の20年間に発売になったいわゆる「日本人のジャズ演奏」の名盤200選。その中に何と、かつての僕が、企画・制作・発売した「ジョニーズ・ディスク」の作品の中から、3枚のアルバムが、そのベスト百!に入っていたのだった。選んでくれたのは九州在住の評論家・遠藤誠一氏。名は知れどお会いしたことのなかった方だったから、なおさらうれしかったし、ビックリ!
その06年、僕は30年来のファンであり続けて、コンサートも岩手で開き続けてきた、ニューヨーク在住のジャズピアニスト、穐吉敏子さんのいう「これ以上望むべくもない」その、最強カルテットでの、日本ツアーをプロデュースさせて頂き、さらに夢の「レコーディング」のOKを頂き「渡米50周年記念日本公演」というタイトルのCDも制作させて頂いたとき、僕はCDのライナーノーツは、後藤さんにも書いて頂こうと思い、それは実現した。
対談の時後藤さんに穐吉さんとの出合いのことをきかれたが、後藤さんが穐吉さんを知ったのも僕と同じく、穐吉さんのビッグバンドデビュー曲、孤軍であったこと、僕に似た出発点だったことをライナーで知った。そこから、後藤さんに会ってみたい!が実現できたのだ。北九州は日本のジャズ発祥の地であるという、若松鉄人ジャズコンサートの和田寛市氏は、「継続こそジャズ魂」と言う。