ジャズライブ初孝信<99>2010.12.20.盛岡タイムス

 世界遺産登録を目指している岩手県平泉町、その郷土館で2度目の穐吉敏子・ピアノソロコンサートが行われたのは05年3月16日。平泉国際交流協会が後援してくれて、実行委員会が主催した「朝日賞受賞記念世界ジャズ界の至宝・穐吉敏子・ソロライブ」。

 実行委員長の菅原光中氏はあいさつで「夢のような気持ちで準備してきた。今も夢のようです。世界遺産に登録されたら、また穐吉さんをお呼びしたい」と言った。その日のコンサートは何と会場から人があふれ出し、入り口のドアを開け、廊下にまでイスを並べた程の盛況振り。アンコールで「ホープ」と「毬(まり)と殿様」をアレンジした「テンテン」で終演。

打上げは実行委員を中心に会場近くのホテル「武蔵坊」で行われたのでしたが、そこへ顔を見せたのは、当時、中尊寺貫主だった故・千田孝信氏、郷土館長だった大矢邦宣氏、そして大の穐吉ファン・徳谷眞樹氏、それに僕の兄たちも参加した。

千田孝信氏は93年~06年まで中尊寺貫主を務め、故郷の栃木県日光市の「観音寺」に戻り09年4月11日に83才で亡くなったが「平和の心、他人を慈しむ心、万物共生の念」を説いた人で、まさに、穐吉さんと共通する考えの方だった様です。彼は「生まれて初めてジャズの演奏を聴きました、感動しました。もっとはやく聴いていればよかったと、思いました」とユーモアたっぷりに穐吉さんに話しながら、なんと「インターネットであなたのことを書いてある文章を見つけ、すばらしかったので、コピーしてきました」と穐吉さんに手渡した程でした。

また穐吉さんの昔のレコードを何枚も持参した徳谷真樹氏は、なんと一人で30数枚ものチケットを売ってくれていて、ビックリしてしまったが、彼は農業をやっている僕の兄、敏夫の親友で、静岡から岩手一関市に引っ越して来て、完全無農薬有機栽培農法を実践している方。それこそ穐吉さんが若い時に影響を受けたジャズピアニスト・バドパウエルにちなみ自分の所を「馬土農園」と名付けてるモノホンのジャズファンで評論家でもあった。