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特定非営利活動法人
「穐吉敏子ジャズミュージアム」への旅

開運橋のジョニー 照井 顯

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1963年、僕は働きながら岩手県立高田高等学校定時制に入学。1年生の時、同級生の「拓実」君に「みんな名もなく貧しいけれど」(作詞・宮川哲夫/作曲・吉田正/唄・三田明)の夜間高校歌詞を見せられたのがきっかけでレコードに興味を持ち、初めて買ったのはラジオで聴いた「禁じられた遊び」(ヴィンセンテ・ゴメス・G)でした。

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高校を卒業した年の1967年5月5日、それまでに買い求めたレコードをもとに、「希望音楽会」というレコードコンサートを開催。高田音楽鑑賞会として以後7年間、陸前高田市民会館の大会議室や大ホールで開催。その最終回(1974年11月)東京帰りの先輩が「これをかけて欲しい」と持ち込んだのが穐吉敏子・ルータバキン・ビッグ・バンドのデビューアルバム「孤軍」。その先輩の名は「軍記」さん(故・2011年3月11日)でした。
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それまでに聴いてきた、どの音楽とも違う、そのビッグバンドの一種独特のサウンドに言い知れぬ感動を覚え、彼女の過去のレコードをさかのぼって聴き、ファンになればなるほど彼女の日本における過小評価に一人腹を立て、気が付けば77年に「ジャズ日本列島唯一・日本ジャズ専門店」というバカデカイ看板に衣替え。もちろん旗印は穐吉敏子。彼女の代表曲「ロング・イエロー・ロード」をテーマに、当時最も虐げられている音楽と感じた「日本のジャズ」。外国人優先の日本のジャズ界に、岩手陸前高田という辺境の地から一人狂ったように「日本のジャズ(和ジャズ)と共に育ちたい」とレコード制作やコンサート活動にも情熱と執念を燃やしました。
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そして、1980年6月、ついにその日がやって来た。穐吉敏子「トリオ」での初来日。既に全日程が決まっていたのですが、この機を逃しては!と招聘元に電話し、休日を返上していただく形での陸前高田公演を実現と成功。

この実況録音は30数年の時を経て、録音者「隆弘」君から僕に届けられたので、穐吉さんの許可を得て「1980(秋吉敏子トリオ・イン陸前高田)」というCD盤にして1978年創設の「ジョニーズ・ディスク」より発売(2014)。彼女とっても50歳という最円熟期、乗りに乗った物凄い演奏で、聴衆も大興奮の超・傑作版。初めての田舎町での講演で、ジャズについて、過去、現在、そして未来をも語ったトークもすばらしいと評判になった。この‘80年コンサート以来、僕は基本的に、アメリカから来日(帰国)の度、必ず岩手まで足を運んでいただき、穐吉さんのコンサートを開いてきた。それは数回のオーケストラ公演にまで及び、赤字がピークに達したとき、今度は彼女自ら、来日の度岩手まで足を延ばし、「ご奉公です」とボランティアコンサートを何度も何度も行ってくれたのでした。感謝感激!

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僕も彼女の素晴らしい演奏を、都市以外?地方の人々にも聞いてもらいたいと、いろんな市町村へ出向くコンサートを企画して何度も穐吉さんと一緒に歩きました。そして遂には、ジャズオーケストラの結成30周年記念日本ツアーを、一介のファンでしかない僕に全て任せてくれたのです(彼女にとっては不安だった?)。更には、渡米50周年記念、スーパーカルテットでの日本ツアーと、その記念録音のプロデュースもさせて頂き、CDは「穐吉敏子・渡米50周年記念日本公演」’06年度、SJ・ジャズディスク大賞日本ジャズ特別賞、日本ミュージックペンクラブ・最優秀作品賞を受賞しました。
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そのように僕は憧れの人と一緒に旅をし、様々な土地の人々と穐吉さんつながりの交流が持てたこと幸せに想いながら、それこそ穐吉ファンの誰もが望んている彼女の記念館。いつかどこかに必ずできるだろう。それはどこだっていいのだから、地元の大分、あるいは誰もが行きやすい東京。四国へと言った人もいたので「必ず出来る日が来る」と思っていました。
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ピアノは、ニューヨークのご自宅のスタジオにあるものを提供しますと穐吉さんが言ってくれました。そのピアノは「レナードフェザー氏(“1914~1994”有名なプロデューサー、音楽ジャーナリスト・評論家)」から買ったもので、アートテイタムを始めとする、歴史上のビッグネームが演奏した由緒あるピアノです」と。

まだプロペラ機時代の1956年1月、3日間かけて羽田から米国のボストンに渡ったという穐吉さん(当時26歳)は、まだ生きていたジャズジャイアンツの錚々たる面々と演奏。以来今日まで65年、日本が誇る世界最高のレジェンド・ピアニスト・作・編曲家として「NEAジャズマスター」「生きたジャズの遺産」の称号を米国から与えられた、われらが穐吉敏子さん!そのジャズミュージアムが、只今建設中(2022年10月オープン予定)の岩手県盛岡市のバスセンター内に出来るホテル・マザリウム、ロビーラウンジに設置になります。

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そのことは、岩手全域、全国から、新幹線、バス、または空港からと全世界から穐吉ファン、音楽ファン等々が集い、交流し、そこからまたジャズへ、穐吉への、過去と現在と未来への旅に発着する老若男女の必要不可欠な磁場となるのではないかと、この世界的なコロナ禍中の今日にあっても、明るい未来に架ける期待の橋に胸を膨らませております。

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 この夏、NHKがニューヨークの穐吉さん宅と盛岡・開運橋のジョニーをリモートでつないでくれまして、TVで2年ぶりにお互いの顔を見ながらお話が出来ました。その時にどんなミュージアムになったらいいですか?の僕の問いに対しては手紙が届きました。「あー、穐吉敏子って普通の人で、努力してあそこ迄行ったんだなぁ。自分も努力すれば、あそこ迄行けるんだ“頑張ろう”と感じるような所にして下さればいいと思っております」という内容でした。

 期待に応えるべく穐吉敏子さんのキーワードに「未来を担う若者たちが好きなことを見つけ、一生懸命とりくむ、そのきっかけづくりや一助となるようなミュージアムにしたい!」が目標です。

 

2021年 秋・吉日