春の海、秋の海<30>2009.8.10.盛岡タイムス

 宮城道雄の代表曲「春の海」が作曲されたのは29年12月、宮城35歳のときのこと。原曲は、箏と尺八のための二重奏曲で、春の瀬戸内海の印象に基づいたものであったらしい。

  だが、発表当初は意外にも、評判はあまりよくなかったとの話だが、32年に来日したフランスの女性バイオリニスト・ルネ・シュメーがこの曲を聴き、尺八の部分をバイオリン用に編曲し、宮城と合奏し、録音もして世界的にも有名になり、日本を代表する一曲となった。

  「春の海」が生まれた29年12月といえば、そう「ジャズの女神」こと穐吉敏子さんが生まれた年月ともに一緒で、彼女がアメリカから2度目の帰国をした63年(33歳のとき)この曲を、アルト・サックス奏者で、前夫のチャーリー・マリアーノと共に四重奏団で録音し「春の海」の表題でレコード化された。

  「原曲を生かした、ファンタジーにあふれた導入部。テンポを早め、ビートを利かしてからのモーダルな即興演奏も自然。日本の伝統的な味わいを持った曲が、これほどみごとにジャズ化された例は、ちょっとほかにみられない-岩浪洋三」として、評判になった。

  71年にテナー・サックス兼フルート奏者で、現夫のルー・タバキンと共に、カーネギー・ホールのリサイタルホールにてこの曲を再演し、ライブ盤としても発売になった。だが、77年の録音(ルー・タバキン名義・ピアノは穐吉敏子)では「春の海」ではなく「秋の海」(穐吉の海)に変わった。80年にはビッグ・バンドで、90年にはトリオ演奏で「秋の海」の再録音も成されている。

  曲名が春から秋になった理由は、宮城氏の死後、故人の遺作管理をする団体から「ジャズ演奏には許諾できない」との回答から「春がいけなければ秋にします」と似ている異曲「秋の海」に作編し直して、再録し発表したものである。おかげで、日本には「春の海」「秋の海」という2大名曲が存在することになった。

  箏と尺八からピアノとフルートへ、春から秋へ移行された演奏を聴けば、真剣勝負さながらの気迫に満ちた名演で「夏の海」!との評も。