それは、92年11月4日の出来事だった。所は盛岡・岩手教育会館大ホール。穐吉敏子さんが、ニューヨークでオーケストラを再編させ、「テンガロン・シャッフル」というアルバムで新生オーケストラがデビューした84年から数えて、5度目(岩手では4度目)のオーケストラ公演を、陸前高田でジョニーというジャズ喫茶店を開いて僕は、そのコンサートを、盛岡と翌11月5日大船渡で主催した。
11月4日の公演のときアンコールに応えて、穐吉さんが「何度も私を呼んでコンサートを開いてくれる、ジョニー・テルイのために、盛岡へ来るバスの中で書いた曲を彼に捧げたい!」と演奏はじめ、メンバー全員が、♪ジョーニーと歌い出した。それは、それは楽しくスイングする「ヒア・カムズ・ジョニー」というアドリブの利いた感激的な曲で、ホール後方の通路に立って聴いていた僕は、こみあげる涙をこらえながら、ステージへ駆けより、彼女に抱きついた。(実はこの日穐吉さんとルーさんの結婚記念日でした)スミマセン。
翌日の大船渡公演でも演奏されたその「ジョニーがやってきた」は大評判となり翌93年にカルテットで、夫でテナーサックス奏者のルータバキンさんと来日したその時も再度僕は、陸前高田と盛岡でのコンサートを開いて「ヒア・カムズ・ジョニー」は又再演された。その2年2度にわたって、コンサートスタッフとして手伝ってくれた、当時の北里大学水産学部のジャズ研究会・浦崎スタンダーズのメンバーが、その翌年の卒演を陸前高田ジョニーで行ない、何と、あの2度の演奏を聴いて覚えた「ヒア・カムズ・ジョニー」をそれらしく演奏してみせて、僕を大いに喜ばせてくれたものでした。
その後にニューヨークのジャズクラブ・バードランドに出演する穐吉敏子ジャズオーケストラを聴きに、10人程のファンと一緒に行った時、日本からファンが来ていると、ステージで紹介してくれて、あの「ヒア・カムズ」を演奏してくれたのには驚きました。そうだ「ジョニーが・ニューヨークへ・やって来たんだ」と。