秋吉敏子ストーリー<50>2009.12.28.盛岡タイムス

 「先日アキヨシさんがFMに出てたの聞きましたか?」「知ってましたか」などなど、開運橋のジョニーにやって来たお客さん達が、僕に問いかけた。09年11月の中ごろのことだ。僕はその放送を知らなかった。NHK?と問えば、いやFM岩手だったという。それはめずらしい。でもFM東京の制作ならありうると思った。

  後日、FM岩手の小田島大さんに電話で番組の事を尋ねると、調べて見ます、とのこと。そして、その11月11日牛後3時から放送された「ルーツ・秋吉敏子ストーリー・渡米50周年記念~今、NYで語るロング・イエロー・ロード」という番組をCDRに収めて何と、店まで届けてくれたのです。本当にありがとうございました。小田島さんとは、FM岩手開局の85年以来「オール・ザット・ジャズ」番組を担当して頂いている関係。

  「秋吉の50年は長く険しい道なのでした。そこから生み出されたジャズに耳を澄まして見たい」とナビゲーター役のジャズ・ピアニスト中山千尋。番組は07年にニューヨークで収録されたもの。56年日本人初のバークリー・音楽院の奨学生として渡米、米ジャズ界に旋風を巻き起こして、以来、穐吉の後を追うように、大勢の外国人ミュージシャンが、バークリーを目指した。日本からは渡辺貞夫・小曽根真・大西順子・上原ひろみなど、現世界ジャズシーンで活躍する人を生み出したバークリーの事。

  そこからニューヨークという世界最大のジャズの学校!へ向かい、世界のトップと演奏。しかし、出る釘は打たれる!のことわざ通り「パイオニアには必ず抵抗がある。それは全部受け入れなければならない」と、オリジナル曲のビックバンドで注目された時の事。「寝ていたい時でも尻にムチ打ちピアノを練習。続けていられるってのは、どれだけ自分が、そのやることを愛してるかってことにかかっている。ジャズを愛してるからですね」と、昨日に満足しない生き方。

  「長い黄色い道」「恋とはなんでしょう」「ビトウィン・アンド・マイ・セルフ」「孤軍」それに9・11のNYテロ以来必ずの「ホープ」の5曲の放送でした。