私を野球に連れてって<43>2009.11.10.盛岡タイムス

 03年10月19日の夜だった。所はニューヨーク。ジャズピアニスト、いや、あのときはジャズオーケストラのリーダーであり、作編曲家であり、指揮者でもあった、穐吉敏子さんの自宅。穐吉さんご夫妻と穐吉さんのお姉さん三代子さんグループ3人、それにぼくたち2人。

  ワインを飲みながら、穐吉さんの手料理をごちそうになっていたとき、テレビは野球を中継していて、見ると、ニューヨークヤンキースに、あの年に入団の松井秀喜が打席に入っていて、何と満塁ホームランを打った。ウワーッ!全員が感激。ヤンキースのファンではないという、夫のルータバキン氏も「松井ホームラン!」と叫んだ。

  「ニューヨークは東京と同じように、ジャズと野球で湧く都市だ」とかかれた、岩浪洋三氏の解説文がつづられている、03年8月録音の穐吉さんのCD「ニューヨークスケッチブック」の最後に「テイク・ミー・アウト・トゥ・ザ・ボール・ゲーム」(私を野球に連れてって)という曲が入っている。

  この曲、実は歌詞もついていて、アメリカ・メジャーリーグの試合、7回表終了時に、スタンドの観客が立ち上がって歌を歌い、同時に背伸びをして、身体をほぐすという効果まであるようなのだが、作詩は100年前の1908年。プロ野球を見たことがなかったという、ジャック・ノーワース。歌ったのは彼の妻、ノーラ・ベイズだったそうで、当時の大ヒット(ホームラン)曲。作曲はアルバート・フォン・テイルザーで、彼もまた野球を実際に見たのはその20年後だったというからおもしろい。

  09年、米大リーグのワールドシリーズで、通算6試合で打率6割1分5厘をマークし、3本塁打8打点を上げ、ヤンキースを優勝へ導いた松井秀喜選手は、日本人初のMVP(最優秀選手)に選ばれた。特にも第6戦で先制本塁打。6打点の大活躍。

  この偉業を誰よりも喜んだ一人は穐吉敏子さんなのだろうと、ぼくは思う。なぜなら03年の松井メジャー初ホームランシーンの実況放送を「私も野球に連れてって」のエンディングに使って応援した人だから。