ジャズ・マスターとなった、ピアニスト・穐吉敏子さん(ニューヨーク在住)が、この10月15、16日の2日間、盛岡・開運橋のジョニーで急きょプライベート・ライブを開いてくれることになった。すごくうれしいし、思いが有り難い(関東でのコンサート休日利用)。
そのことから、これまでに「ジョニーで店内ライブ」を開いてくれたのは何度目で何回になるのだろうかと、危なっかしい記憶をたどってみよう。
始まりは87年8月。次は94年。95年。97年。00年。01年。02年。03年。04年。05年。08年。09年の12度。15回目というのは確実に思い出せるのだが、定かでない年は省いた。もちろん、穐吉さんに来て頂いているのは80年からなので、主催した大小コンサートはこの倍の30回を越えており、かかわった穐吉さんのコンサートまでとなるとさらにその倍に達していると思うが、しっかりと記録を整理していないので、今のところ定かではない。
その店内ライブで、一番に忘れられないのは最初の87年のときの事。「お元気ですか」とオーケストラで日本に帰って来ていた時に電話を直接いただいたので、ビックリギョーテン、あわてふためいて、何を話したのかよく覚えていないのだけれど、そのはじめてのごあいさつの電話に30分もかじりついて店でその4日後にライブをしてもらう約束をとりつけた。
穐吉さんにとっても、そんなハプニングは初めてのこと。何カ月前であっても、気の乗らないコンサートは引き受けないというのにしかも、日本でほとんど初めてのソロ。しかも4日後。僕は武者震いする体と、コウフンして声が裏返るままを、友人、知人にそのまま伝える電話を3日間しっぱなし。
その当日、僕の電話で事の重大さを察知した人々が全国から、店内ギッシリの60人が、当時の「ジャズ・日本列島・唯一の・日本ジャズ・専門店・ジャズ喫茶、ジョニー」へ参集し、穐吉さんが「まだ、初めて、ということが残っていたなんて」という日を一緒した。