母と娘のファーストライブ<59>2010.3.1.盛岡タイムス

 トシコズ・ドリーム56で、ジャズピアニスト・穐吉敏子さんの娘、歌手・マンディ満ちるさんが選んだ、母の作品「マンディ満ちるコレクション」を読んだ読者数人から、あのCDが欲しいとの問い合わせがあり、発売元のウルトラヴァイブから送って頂いた。

 マンディさんは、穐吉さんと前夫(故)チャーリー・マリアーノ(サックス奏者)との間に63年8月19日の月曜日に生まれたことから、マンディ満ちると名付けられた。米国籍で英語が母国語ではあるが、生まれたのは日本。一歳半の時、戻る母と一緒にアメリカへ。

 その後、離婚した母がピアノを取るか、子を取るかの究極の選択を余儀なくされる情況下になった時、母は、日本に居る姉のもとへ二歳だった我が娘・満ちるを、スチュワーデスに頼んで飛行機に一人乗せたという。

 彼女が、再びアメリカの母の元へ戻れたのは七歳の時だった。それから、フルートや、バレーを本格的に学び、雑誌の表紙モデルやCM、テレビのレギュラー番組なども持ち、歌手を目指し、ボイス・トレーニングをし、様々なジャンルに挑戦したいと思っていた23歳の87年、日本映画「光る女」でプロレスラー・武藤敬司と共演し女優としてデビュー。

 フルートでは16歳の時(80年)の母との共演盤「トゥッティー・フルーティ」があるが、念願の歌手デビューは27歳(91年)の「満月」であった。以後クラブシーンで有名になり、本格派シンガー・ソングライターとして認知を得て、93年の「NAKED・WITH・YOU」がイギリスでリリースされ、以降、ヨーロッパ各国、アジア、オセアニア、カナダ、南アフリカなど、全世界でリリースされる名実共にワールド・ワイドなシンガーとなった。

 「娘が有名になったら、私達のバンドが前座を務めるのが夢」という穐吉さんの言葉で、穐吉敏子トリオ+NYから直行参加の義父・ルー・タバキン。そしてマンディ満ちるグループという母娘初共演のファミリー・コンサートが実現したのは、98年11月19日。僕が主催した日本の片田舎、岩手県陸前高田市でだった。