「日本ジャズの街・陸前高田」を宣言し、標榜した「日本ジャズ専門店ジョニー」。その岩手県陸前高田市に、世界№1・ジャズピアニスト・穐吉敏子さんが、初めてコンサートにやってきたのは、忘れもしない80年6月13日。
コンサートが決定したのは、何と三ヶ月前。帰国公演の全日程がジャズ誌に発表になったあとのこと。日程を見てたら、休日があったので「ヨシ!」と招聘元の「もんプロダクション」に電話。一度は断られたが、休日があるじゃないか!と強引にねじ込んで、実現したものだった。
そうして、当時、僕の「最大の夢」を実現。とは言っても、秋吉久美子(女優)が来るの?、彼女はピアノもやるの?という反応が返って来る様な素朴さに、僕はガゼン、ハップンして興奮のあまり眠れぬ夜が続いた。
当時の、四半世紀も前に単身海を渡り、大和民族として未知なる「JAZZ」の領域に身を投じ、その大国にあって「日本人」としての誇りを失わず、真にジャズに生き、遂には、自分自身、固有の世界<日本のジャズ=トシコのジャズ>を築き上げ、世界的、国際的な意味で頂点に達した偉大なジャズ芸術家・穐吉敏子。が来たのだ。
地域紙「東海新報」は、そのコンサートを「ただならぬ二時間」と見出しを付けた。「県内外から400人を超すファンを集めて催され、たっぷりと、わが国の生んだ超国際級ジャズピアニストの、華麗でダイナミックな演奏ぶりに、ただただ酔いしれた。“いつか、無名の小さな町でコンサートを開きたかった。その夢が陸前高田で実現したのは、この上なく嬉しい”と、のたまうのだから、会場は拍手の渦」。と穐吉さんのコメントも報じた。
そして4年後の84年と6年後の86年。超満員で迎えることとなった「秋吉敏子ジャズ・オーケストラ」の奇跡的な公演が実現した。
「海を越え、山を越え、陸前の国は、春よし、夏よし、秋はまたよし」とマネージャーが一句。
初めて出会えたのは80年。トシコの年今80歳。このトシコズ・ドリーム80回。ワオー!。