ジャズストリート<83>2010.8.16.盛岡タイムス

 全国の地方新聞(岩手では岩手日報)に、90年7月14日付けから91年5月18日付けまで、週一で掲載された「ジャズストリート」には、当時の日本ジャズを代表する新旧のミュージシャン達40人が紹介されていた。

 第一回は当時の現役最古参で、往年の名プレイヤーを集めた「オールド・ボーイ・オールスターズ」のリーダー兼ドラマーだったジミー原田さん。かつて日本を代表したドラマー・ジョージ川口、その父に引っ張られドラマーになり、あげくは、彼、原田さんの息子(イサム)孫(俊一)三代がドラマーになったというのだからおもしろい。

 第二十五回(91年1月26日付け)に登場したのは、デキシー・トランペッターの外山喜雄さん。彼は、デキシーセインツというバンドを奥さんの外山恵子さん(ピアノとバンジョウ)と一緒に持ってて、日本のサッチモ(ルイ・アームストロング)と呼ばれてる人。かつてはニューオリンズに住んでたこともある、根っからのサッチモファンで、サッチモ音楽の継承者にして伝道者。「日本ルイ・アームストロング協会」の代表で、「ワンダフル・ワールド通信」(サッチモに関する情報誌)を発行し、10年8月号で65号。また7月19日東京の恵比寿ビール記念館で行われたサッチモ祭もすでに30回。

 サッチモといえば忘れられない言葉がある。穐吉敏子さんが91年11月22日号「朝日ジャーナル」に登場した時の下村満子氏のインタビュー・タイトル「ジャズって何?と聞かれると、サッチモの言葉を思い出すの=穐吉敏子」である。そのサッチモの有名な言葉とは「ジャズとは何ですか、と聞くようでは、その人はジャズがわかっていない」というもの。

 さて、その敏子さんが「ジャズストリート」に登場したのは91年5月18日付け最終回(第四十回)名古屋の「ジャズ・イン・ラブリー」でのライブ取材「ジャズは歌うように弾く。というけど、弾き始めると、ホントに歌ってる(声を出している)」「今を感じさせるプレイと謙虚さに触れ、この人こそ、ジャズをやるために生まれてきた人だと思った」とある。