甦るトシコの言葉<81>2010.8.2.盛岡タイムス

 長い間、何かをやり続けていれば、当然自分は何なのかということに突き当たる。そんな時、僕に「トシコ」の過去の言葉が甦ってくる。

 「長い間、ニューヨークやロサンゼルスでやっていると、日本人でジャズピアノをやっている自分が、浜の砂の一粒の砂より無意義な存在に思えて愕然とすることもあるんです。そんな時は、自分が何者であるのか必死で考えざるを得ません。そういう模索の結果、どうにか自分を見失わずに生きてこれた訳です。」

「オーケストラでは自分の作品しか演奏しない。確かにスタンダードを入れれば、お客さんは親しみを覚えるかもしれない。でも、デューク・エリントンの“C・ジャム・ブルース”だって、最初は新曲だったわけでしょ。私も、あくまで、最善を尽くして書き上げたオリジナルで勝負したいのよ。」

 「黒人初の大リーガー・ジャッキー・ロビンソンがそうであったように、その道その道のパイオニアには、乗り越えなければならない試練があって当然です。私が、音楽を空気のように必要としてたから、ビックバンド・リーダーとしてやってこれたんでしょう。」

 「日本人であるから、アメリカ人のプレーヤーが持っていないものを持っているはずで、それを、前向きに使えるのではないかと思うが、日本的であることが、ユニバーサルな共感を呼ぶレベルに達しているかが問題なんです。」

 「私は、ほめられると仕事しやすいけど、あまり本気にしないの。いろいろ言う人いるけど、言われたくなかったら出てこない方がいいし、出る以上は、覚悟しなくちゃいけない。私の本当の勝負は、死んでからだと思っている。第二の勝負は生きてる時。」

 「ジャズは大変に個人的な、一種特別な音楽で、聴く方も大変な努力が要る為、誰にでも向いている音楽とは言えません。またクラシックと違い、ジャズに対する認識があまり無くて誤解されてる音楽とも言えます。それ故、一生懸命になってジャズを支持し、広めようとして下さるファンが居られるのは、私の様な音楽家にとって大変有難い存在です。」