「姉トリオ」と、ジャズピアニスト・穐吉敏子さんがよく言う。穐吉さんの姉・美代子さんのお友達に、2人の熱烈なトシコファンがいる。そのお1人・美術家の上村雅代さんから、七夕の日に一通のお手紙を頂いた。
その近況を知らせる手紙と一緒に一枚の新聞コピーが同封されていた。それは、岩手ではお目にかかれない「朝日新聞の夕刊」。新シリーズ「人生の贈りもの」というインタビュー記事の第一回「女学校、私はピアニスト“ジャズミュージシャン”穐吉敏子(80)」(聞き手・小林伸行)という10年7月5日付のもの。
その中で、満州(現中国)の大連の女学校時代に、揚(ヤン)先生にピアノを習ってた。夏のある日、お裁縫で誤って針を指に刺し、直後にプールで泳いだために膿(う)んでしまった時、先生に「あなたはピアニストなのだから、そんなに無茶はいけません」と叱られて「あ、私はピアニストなんだと自覚した」と自覚する事の大切さを語っている。
又「子供の頃はベートーベンが大好きだった。モーツアルトのような天才とは違う、人間らしい苦しみが感じられる。懸命に努力して創りあげた音楽。ジャズで言えば、ジョン・コルトレーンの様な、そういうところに共感したのかも知れません」と、物凄い努力をし続けてきた自分を振り返り、重ね合わせている。
「最初にレコードコレクターから聴かせてもらった、テディ・ウイルソンの「スイート・ロレイン」自分もあんな風に弾きたいと思ったのが最初です。理屈ではなく、自分に合ったということです」と、よくジャズの聴き方を「おデート」に例える穐吉さんらしいお話し。
当時そのコレクター・福井参郎さんから借りて一週間で全部書き写したという「ジャズピアノの教則本」は、穐吉さんにとって猛烈に役に立ったそうだが、その本を書いた「ビンセント・ロペス」のことは米国で活動することになってから、いろんな人に聞いてたが、誰も知らなかった。ところが、昨年、日本でその人が演奏した古いレコードを、あるお宅で聴かせてもらったという。本と出合ってから60年後に“本音”と出会う縁の不思議。