瀬戸の夕陽<93>2010.11.8.盛岡タイムス

 「高松の関元さん(穐吉さんの熱烈なファン)から、瀬戸内海の夕陽を見に来て下さいと言われてるから、行って来なくちゃなんないの」と、穐吉さんが言ったのは、09年6月に計画していた、ご夫妻の結婚40周年を記念した「ヴィンテージ・ツアー」の日程を組んでいた時だった。

 その夕陽の話は、関元さんが率いる高松の「SWJO」というビックバンドが「Sunset of Seto」という曲を穐吉敏子さんに作曲依頼し、その曲を04年から始まった「サンポート・ジャズ・フェスティバル」のテーマ曲にするというもの。その曲は来11年8月7日(日)に同祭で発表されることになった。

 行って見聞して見たいと思っていたら、穐吉さんから電話とFAXを頂き、そのフェスティバル後の9日から数日間の日程を、僕に預けてくれるという。ワオー!渡りに船!みたいに喜んでいる僕。

 落ち着いて考えてみれば、11年は穐吉さんはジャズ生活65周年・渡米55周年という節目の年にあたる。電話での話、「来年の春には、カーネギーでの演奏があるようですね」と聞いたら「先日の中国と日本の公演を終えて戻ってきたら、メールが届いていてタイム・ワーナービルの中にある一番大きなホール(リンカーン・センター・ジャズ・オーケストラが入っている所)からの出演依頼が来てて来年9月ということなんだけれども、私はすでに9月のスケジュールは入っているので、2012年3月以降にリクエストした」という。

 「又、皆さんでいらっしゃい」と言ってくれた。来年の話は鬼が笑うというが、再来年の話である。泣く程の嬉しさ!。そういえば09年に、穐吉敏子さんのピアノ・ソロ・ライブ2004が発売になっているが、ピアノに専念したいと、穐吉敏子ジャズオーケストラを自ら解体してスタート直後のソロの記録である。当時74才。そして今年は、間もなく81才を迎える年齢ですが、昨年録音した、クラシックエンカウンターのCDもそうなのですが、進歩し続けていることが、ありありと見える今の敏子さんです。