田沢湖ジャズ倶楽部<97>2010.12.6.盛岡タイムス

 僕が名前だけの顧問を務めている秋田県の「田沢湖ジャズ倶楽部」が主催する「ジャズコンサート」が、今年(10年)11月19日に鈴木良雄・山本剛・峰厚介という、日本を代表するミュージシャンを呼んで50回目の記念コンサートを行った。

 第一回の92年5月24日の吉田正広&アメリカンフレンズから数えて18年。現会員20数名、会友20数名というクラブで、毎月の会費をコンサートのために積み立て、年に2~3回の自分たちが聴きたいミュージシャンを呼んでコンサートを開くという、純粋なジャズファンクラブである。

 このファンクラブの発足から現在まで会長を務めているのは、僕の親友で荒川憲二郎さんという、学校の先生(現中学校の教頭)。彼は30年程前から、当時、陸前高田にあった僕の店「ジョニー」に、夏になるとバイクで田沢湖から、毎年3時間半かけてやってきた。

 そして、お互いにファンとするミュージシャンは、岩手出身のジャズピアニスト・本田竹広。ビックバンドリーダーでピアニストの穐吉敏子だった。いつか本田さんと穐吉さんを田沢湖に呼んでみたい!が彼の夢。

 彼は店に通い始めて10年後の92年に田沢湖ジャズファンクラブを立ち上げたのだった。その最初の会報に何か書いてと言われて3枚の予定が30枚にもなって止まらなくなり、遂には108枚という煩悩の数にまで到達した。穐吉さんが(秋川として)登場する私小説もどきを書き上げ、96年、僕の長男の結婚式の引き出物とした「ジャズ物語・瑠璃色の夜明け」。主人公はもちろん彼、荒川さん。その結婚式の演奏は、なんと!穐吉敏子さんでした。

 荒川さんが故・本田さんを呼んだのは93年から03年まで4回。穐吉さんに関しては96年から8回主催している。最初の年などは、車から降りた彼女を見て、「本物の穐吉さんですよね」と念を押した程の夢心地。おばあちゃんが作ってくれた秋田名物「きりたんぽ」をご馳走になった記憶が甦る。2度目の時には、彼・荒川先生が担任をつとめるクラス全員に「秋吉敏子」と半紙に書かせて、その書をコンサート会場の受付に飾った程でした。