「トシコ=マリアーノ」イン盛岡<6>2009.2.23.盛岡タイムス

 08年10月、ぼくより少し年配かなと思われる富田健治さんという方が、市内鉈屋町からぼくの店、開運橋のジョニーへやってきた。

 話によると、どうやら穐吉敏子(ジャズピアニスト)の昔からのファンで、穐吉さんがよく来るジョニーのことは、以前から気になっていたという。しかもバスケットの関係で陸前高田市の井筒さん(かつてのぼくの店、陸前高田のジョニーのとなり組の方)からジョニーが盛岡に行ったから、寄ってみてと何度か言われていたというのだった。

 話は逸れるが、井筒さんは麹(こうじ)屋さんだが、おいしいみそを作っている、人望の厚い方で、よく店にコーヒーを飲みに来てくれていた。ちなみにぼくは今でも店と家庭で使うみそは「井筒みそ」なのだ。なくなれば陸前高田までひとっ走り買いにいってくる。なぜなら、陸前高田で店をやっていたころは、盆と正月1年分ものみそを無償で届けてくれ続けた人だった。その愛と味をいつまでも忘れたくないのです。

 ともあれ、富田さんはジョニーに来る以前の08年7月、紫波町の野村胡堂・あらえびす記念館にて、穐吉敏子ピアノトリオのジャズコンサートが開かれたのに合わせて、7月に同時開催していた「ジャズに生きる・穐吉敏子展」(レコード、CDジャケット、ならびに穐吉敏子語録をぼくが書いた書展)を見に行ってくれていたのでした。

 「実は見せたいものがありまして」とぼくの前に差し出したそれは、何と63年に穐吉敏子さんが、前夫、チャーリー・マリアーノ(サックス)との双頭バンド「トシコ=マリアーノ・クァルテット」で、県公会堂において2日間公演したときの全国ツアー用のパンフレットだったのです。56年の渡米後、61年の初帰国に次ぐ2度目の来日で人気の絶頂にあった。

 ベース・ユージン・チェリコ(29)、ドラム・アルバート・ヒース(27)で全員のサイン入りという貴重なもので、当時富田さんは20歳そこそこで労音にいて、そのとき穐吉さんは33歳だった。