朝日に輝くこうごうしさ<12> 2009.4.7.盛岡タイムス

 「学術・芸術などの分野で傑出した業績をあげ、わが国の文化や社会の発展、向上に多大の貢献をされた個人、または団体に贈ります」として、1929年(昭和4)に、朝日新聞創刊50周年を記念して創設された「朝日賞」の04年受賞者4名の中に、紅一点・穐吉敏子の名。米国を拠点にピアニスト、ビックバンドリーダーとしてジャズ発展に寄与した功績!が受賞の理由だった。

 授賞式の招待状を持って僕は女房の子春と一緒に会場の帝国ホテルへ向ったのは式の当日05年1月27日、フロントで穐吉さんに到着を告げるとロビーに下りて来てくれた。式典後のパーティーで演奏するピアノのリハーサルを見させてもらい、写真を撮らせていただいた。ファインダーの向うには何と黒いタイトスカートの中から、初めて見るツルンとした生足・・・。

 壇上からの受賞者スピーチでは、「渡米以来ジャズミュージシャンとしての自分と、ジャズの歴史との関係を考えてきたこと。日本文化という財産を持っていることに気づいたこと。それをジャズに融合させる努力を続けてきたこと。アメリカの大学では自分の作品が教材になっていること。そしてこれらのことを成し遂げられたのは、特に日本の大勢の方々の長年の支持のおかげ」。と、ファンに感謝し、「朝日賞ができた29年は私の生れた年で因縁を感じます!ありがとうございます。」と結んだ、ニック(29)いスピーチでした。

 その05年3月僕は故郷平泉の郷土館で、穐吉敏子さんの朝日賞受賞コンサートを開いたら、会場があふれて入口のドアを開けて通路まで椅子が並べられた程の大盛況でした。また、同年9月12日、東京築地の浜離宮朝日ホールで行われた、朝日賞受賞記念コンサートには、穐吉敏子さんのファンである皇后陛下・美智子さまが、自ら希望され足をお運びになったとの記事を読んだ。その日はシークレットゲストとして、穐吉さんの夫・ルータバキン氏も登場し、共に平和への希求を表現した見事な名演だったという。