ホープガール・ホッペガール<31>2009.8.18.盛岡タイムス

 毎日のように、開運橋のジョニーへ顔を見せる女性・麻里。以前は合唱団で歌っていた彼女が、ジャズに目覚め、ジャズ・ボーカルにハマッてしまい、自らジャズを歌うようになって2~3年。その勉強熱心さは人一倍で、コツコツと英語詩を読み、訳詩を読み、それらをノートに書き写す作業をよくしている。

  特にも「サマー・タイム」は見事で、この歌を歌うようになってから「歌唱力が飛躍的に伸びた!」と常連客は口をそろえ、初めてのお客は「まさか盛岡で、こんなに素晴らしい歌を聴けるなんて!」「話の内容は分からなくても、何か胸に迫ってくるものがあって感動する」と絶賛する。

  昨年(08年)11月から、穐吉敏子さんが作曲し、娘・マンディ満ちるさんが歌っている「ホープ」(ヒロシマ~そして終焉から。の組曲の最終章の曲)にトライするようになってからは、僕も、それこそ真剣にアドバイスするようになった。一応、この曲をちゃんと歌えるようになったところで、僕は彼女が歌う、その「ホープ」を、アカペラや伴奏を入れたものなど、何パターンもレコーディングした。いずれ、CD化したいとの思いからだ。

  そして09年6月6日、作曲者の穐吉敏子さんと、夫でサックス奏者のルー・タバキンさんに盛岡へ来ていただいて、お二人の結婚40周年と、ジョニー開店35周年を記念した夫婦でのデュオ「ヴィンテージ・ライブ」を、ホテルで開いた。

  ライブ終了後のパーティーの席上で、僕は、連日連夜練習を重ねた歌の金本麻里さん、ギターの大森彰さんの若い二人を、舞台に上らせ、穐吉さんに無断で「ホープ」を歌わせた。歌い終わるまで僕の心臓は高鳴り、遠くから穐吉さんの顔や動きばかりを気にして見てた。

  翌日、穐吉さんは「照井さん!ホープを歌ったあの娘ね。声も悪くない。音程もしっかりしている。だけど歌手にさせたいんだったら、あんなに太ってちゃ駄目!やせないとね!」のお言葉!そう、すべてをお見通しでした。

  するとルーさんは横から「ホープガール・ホッペガール」と言った。