今年の春(09年4月)から「ジョニー」での、NHK文化センターの講座「ジャズ魅力への招待」を、継続して受講している方たちの中に、穐吉敏子さんが、渡米後初めての岩手公演を、県の公会堂で行ったとき(63年2月17、18日)、そのコンサートを聴きに行ったという方が2人もいてビックリ。
1人はこのトシコズドリームの第4~6回に登場した冨田健治さんで、当時の主催者だった労音のスタッフの一人。もう一方は、昔のNHK放送合唱団、のちの北声合唱団で歌ってたという、盛岡市馬場町の高橋孝子さん。彼女は合同合唱団で一緒だったという、片岡美保子さんという先輩に誘われて一緒に行ったのだったという。
「実はその美保子さんという方、かつて満州(現中国)の大連音楽学校時代、穐吉敏子さんがピアノを習っていた、楊孝毅先生に彼女も習ってたということを熱く語ってくれたので聴きに行ったのだった。」と思い出しながら、話してくれた高橋孝子さん。
そしてこの冨田・高橋さんは、何と46年ぶりに同じ盛岡で「開運橋のジョニー」という小さな会場での、穐吉敏子プライベート・ライブを頭をそろえて聴いた。当時は新曲でしたが、今は穐吉さんのテーマ曲で、スタンダードな曲となった「ロング・イエロー・ロード」(長い黄色い道)は感慨深いものがありましたと語った。
余談だが、先ごろお亡くなりになった穐吉敏子さんの前夫チャーリー・マリアーノにあこがれ、46年前トシコ=マリアーノを県公会堂に聴きに行き、感化され、自らもサックス奏者となってしまった盛岡西下台の片岡政樹さんは今もマリアーノ信者だ。彼の父は、かつて岩手大学に中国語講座を開設した人文社会部の教授だった片岡政雄さん(故人)。先の片岡美保子さんのご主人はこれまた、岩手大学農学部の教授で片岡佐太郎さん(故人)という方。
「事実は小説よりも奇なり。いつもあの花巻出身の高橋圭三アナウンサーが言っていましたね」と、この話を聞いたわが女房、小春がのたもうた。