82年4月、毎日新聞社が発行した「別冊一億人の昭和史」シリーズの一冊「日本のジャズ」というA4版の本がある。
日本のジャズミュージシャン600名の寸評が付いた人名事典や日本のジャズ史、巻頭カラーでの現代日本のジャズを内外で彩るミュージシャンたち、そしてビックバンドなど50余りの人とグループを紹介。更にはそれぞれの楽器演奏の第一号者や第一号バンドなど、創成期を担ったジャズのパイオニアの紹介(内田晃一氏)。読み物としての「昭和史にみる日本のジャズ前編・後編」(野口久光氏)。ほか、全国のジャズ愛好会、大学サークル、アマチュアバンド、さらに全国調査した「日本のジャズ喫茶」一覧まで一冊にまとめられた真の「日本ジャズ」特集本。ちなみに僕も「わがジャズ道」で一関のベイシー・菅原昭二氏と並び日本のジャズについての文章を書かせてもらっている。
また「人間ドキュメント」では「原信夫シャープス&フラッツ」を内田晃一氏。「ジョージ川口」を児山紀芳氏。「穐吉敏子」を野口久光氏。「渡辺貞夫」を岩浪洋三氏。「山下洋輔」を油井正一氏がそれぞれ担当し、かれらの足跡をたどりながら、その人となりを紹介する読み物。まさに80年代初頭における日本のジャズの代表者たちであり、故人となった川口氏以外は、新世紀の今なお現役で活躍中の人たちである。
穐吉敏子さんについて野口氏は「一時は音楽を捨てようとさえ考えた敏子に、それを思いとどまらせ、激励したのはタバキンだった。タバキンは敏子の純粋で真摯な音楽に対する考え方を尊敬し、頑固なまでの意志の強さとは裏腹にみせる日本女性のやさしさに惹かれていた。大阪万博に出演し、アメリカに帰った二人は結婚した。その仲人となったのは“ジャズ”だったのだ」とし、「音楽家・敏子」を甦らせた結婚の重要さを語る。
「78年、アメリカで日本人・穐吉敏子がつくったジャズオーケストラが、カウントベイシーをはじめ、居並ぶ本場のビックバンドを抜いて、一位に選ばれるということを誰が予想し得たであろう」と結んでいた。