原指力発弦<57>2010.2.15.盛岡タイムス

 「うちのお母さんが“婦人公論”に穐吉さんが載ってるよ!と言うので読んだら、感動しました。この記事の事ジョニーさんは知ってましたか?」と歌手志望のK嬢から、メールが届いたと、女房の小春。

 その時、僕たちは東京に居た。10年2月8日、紀尾井ホールでジャズ・ベーシスト・鈴木良雄さんのCD「マイ・ディア・ピアニスト」の発売記念コンサートを聴くための上京である。

 このコンサートにゲスト出演したピアニストは、野力奏一、山本剛、イサオササキ、穐吉敏子の4人。クラシックと同様に、ノンPAでピアノとウッドベースによる二重奏。それぞれ個性的なピアニストとの対話的演奏で、鈴木良雄さんのオリジナル曲が中心。

 野力との「Tancho」(鶴)。山本との「GameBoy」。ササキとの「KesaranPasaran」。穐吉との「Hope」。は圧巻。09年6月、盛岡開運橋のジョニーで穐吉が、鈴木の曲「Wings」を練習しながら、「これ、チンさん(鈴木のニックネーム)の曲、あまーい甘い曲ですね!」

といっていた光景が、その演奏中に頭の中によみがえったりした。そして、穐吉敏子作編の曲を演奏する時の、鈴木良雄さんのベーステクニックに感嘆しながら、それを要求する穐吉さんの曲の難しさと、その醍醐味をあらためて、再確認することが出来た。

 又、イサオササキは現在、韓流のドラマ、映画、CM音楽で大ブレーク中のスター・ピアニスト兼作曲家であるが、佐々木功時代の77年、僕が陸前高田へ彼のカルテットを呼んだ記憶やら、後のヒット作「ムイビエン」などが、思い出として現れて来たりした。

 コンサート翌日、東京駅の本屋で“婦人公論”を買い求め、新幹線の車内で読んだ。“時代を創る女たち”「穐吉敏子・ただピアノに愛されたくて」と題する歌代幸子のルポルタージュ。そういえば、3年前の1月、渡米50周年記念CDの受賞式帰り、新幹線の中で見た「ジャズピアニスト・穐吉敏子・米国立芸術基金NEAジャズ・マスターズ賞を受賞」の電光ニュースまでが、ふと浮かんで来た。