初キャンセルの真相<70>2010.5.17.盛岡タイムス

 10年5月12日、朝9時34分、品川のホテル・パシフィック東京から届いた穐吉敏子さんからの「昨晩帰国しました」のファックス。(かねてから予定されていた日本でのソロ・ツアーのため)

 あの4月初めのシカゴの「ショウケース」キャンセル以来の通信なので、おっかなびっくり読み始めると「前略・お元気ですか?」と、こっちが音沙汰無しにしていたことを逆に問われて、まずファックスに向かってスミマセンと独り言をつぶやいて謝った。

 その内容によれば、3月25日ニューヨークのジャズクラブ「スモール」で演奏した後、少し体調がおかしかったようだが、疲れたのだと思ってそれ程気にかけないでいたらしい。

ところがケネディセンターでの演奏を終えた後の日曜日の夜、猛烈な熱が出た(それが実は肺炎だったらしい)のを、アスピリンと生姜汁で熱を下げたのだと。

 そしてその翌日の29日は、僕たち一行が、穐吉さんのお宅にお邪魔する日だったために、穐吉さんは僕たちを失望させまいと無理をして料理を作り、僕たちを迎えてくれたのでした。当日ホテルから穐吉さん宅に何度か電話をして、ようやく夕方につながった時、時間に厳しい穐吉さんが、準備が遅れているので30分遅らせて来て下さいとのことだった。

 僕は何となくいつもと違う感じを受け、1時間遅れで行った方が良いだろうと思った。僕たちがワインを頂きながらワイワイしている間にも、汗だくになりながらも料理を作り全部テーブルに出してから、そっとおやすみになったのでした。

 結果的には翌30日呼吸困難になり、31日夕方には入院ということになった。そのために4月1日から4日までのシカゴのライブをキャンセル(穐吉さんの楽歴上初めて)しなければならなくなってしまったのでした。

 ファンに対してはとても優しい人なのですが、事、自分自身に対してはどこまでも厳しい方なので、大変な無理をさせてしまったのでした。ごめんなさい。なのに手紙の最後には、そんな訳でおみやげのお礼が遅くなりました。と皆様に申し上げて下さいとあった。